「・・・なら」でない。 この世であなたは最初で最後
人生本、癒しスピリチュアル、カウンセラー、聖書もなにも、インチキです。
言葉の表現を伸ばす勉強なら、意味あります。 だけど、すがるためになら、読み、聞くだけムダ。
ヒマヒマに読み、足しげく通い、そこではやる気! 後、またしょんぼりですよ。
あなたは独り!・・・ムリにマネても得はない!・・・この現実を観つづける。
逃げると“同類をさがす”。 ・・・あと失望だけ、テマヒマ、時のムダ。 ・・・観つづける。
孤立は死にますが、「独り」と混同すると、「独り」もコワくなります。 “同一視妄想”はここで生じます。
幼い娘が好む「アタシたち一緒ね」から、大人の「同士よ」と、妄想の連帯感に酔う。
でもいずれは“マネられない”部分が隠せなくなり・・・失望へつながるのです。
ホロスコープを観てください。 双子・出生地が同じ・同姓同名であっても、違います。
「違う違和感」「同じ安堵感」など、“感性ぬきに観て” ・・・「ちがうから、わたしが存(あ)る」と。
・・・「わたしは独りだから、むしろ生きている・・・思い込みとはさかさまなんだ」
あなたがほかに居たら? ・・・ふしぎ・・・“あなたはあなたを失い”、むしろ死んでしまうのです。
ただこれを、たがい認め喜び合える仲間、豊かな関係が、しあわせには必要不可欠なのです。
わかりやすいのは、男女。 ・・・ちがうでしょ? ちがう二人が仲良く、・・・子が増える。
ムリに相手のマネしない。 ムリに差別化を計らない。 すると、睦み逢い、愛し合える。
・・・自然に観、「ちがいのわかる喜び」を分かち合えるまで。 ・・・すると独りが活きる。
ホロスコープは、その違いを徹底的に観るために創られた“親睦の”道具です。